epilog
AN AFTERWORD

おわりに

むすびにかえて

 ルドゥーは、彼の設計した建築物の奇態さやテクストの混乱ぶり、あるいはその「呪われた」生涯のみが取り上げられ、ともすれば建築史において異形の存在として扱われがちであったが、その思想を見れば「上位の術としての建築」、「自然の模倣としての芸術」という極めて古典的・正統的な視座のうえにいたといってよい。ただ、その古典的な建築観・芸術観を、18世紀という特異な文脈のなかで、まさに「気の狂った結論」(ヴィドラー)にいたるまで、ナイーブかつ極端に押し進めたところにこそ、ルドゥーの独自性がある。そのありようは、ピーター・ゲイが18世紀の芸術全般を見ていった「古典主義による新古典主義の解体」またはジル・ドゥルーズがいうところの「内部の外部」と捉えることもできるだろう。すなわち、18世紀自体が、その内部に自らの解体を招く胚珠を孕んでいたのである。

 神・王を頂点とするヒエラルキーの解体、自然の概念の変容、産業の急激な進展、そしてそれらに伴うひとびとの欲望の増大。古典主義に基づいた従来の表象体系では、もはやこれらの変化に十分に対応することはできなかった。だが、あくまでも満たされた全体性という古典主義の理念に従い、ひとびとはそれらを表そうとした。その果ての錯乱。建築においては、それがルドゥーであった。

 すべてが建築である---ハンス・ホラインは、この言葉によって建築の中心の喪失、「建築の解体」を語ったが、ルドゥーにとって、それはまったく逆のベクトルを持つ。すべてが建築であり、建築がすべてである。あらゆるものが建築によって統べられ導かれるという確信。だが、当時の建築は、あらゆる領域で興りつつあったドラスティックな変化を呑み込むほどの柔軟性に様々な意味で欠けていた。その結果、内部から亀裂が生じる。だが、その亀裂こそが、古典主義の終焉であると同時に近代へのはじまりを開くものでもあったのだ。