4-2
chapter 4

自然としての建築

4-2. 語る建築

 自然は人間本性としてひとびとのうちにア・プリオリに刻み込まれており、その声に従う限り人間は誤謬に陥ることはない。しかし今や、そのような自然状態は失われ、ひとびとの習俗は矯正される必要がある。18世紀のフィロゾフたちはそう考え、そしてその手段を法や教育に求めたのだった。

 ルドゥーにとっても、その同時代観に変わるところはなかった。だが、彼の手には建築という至上の芸術がある。それは「もうひとつの自然」であり、自然同様つねに善なる方向へとひとびとを導いていくものである。そしてそのことは、建築物がその外観をとおしてひとびとに「語りかける」ことによってなされるとルドゥーは信じた。これがいわゆる「語る建築 architecture parlante 」★9である。

モニュメントのカラクテール caractère は、その本性と同様、道徳の伝播と純化に寄与する。彼方には人類を平等とするところの進歩的な形態に従った劇場が建てられている。此方には人類を神の高みへと引き揚げる凱旋門がある。・・・正義の光に照らし出された神殿は罪を生み出す暗がりに対して有益な対照をなす。(L.3)

カラクテールとは古典主義建築理論を代表する術語である。その使われ方は論者によって様々だが、一般化すれば、建築物は配置、平面、立面、装飾、材料等、あらゆるレベルにわたって、その用途 destination と社会序列 rang に適ったものでなければならないとする、いわばシニフィエを建築の社会性に求めた一種の類型学的な表象理論であった。だが、18世紀末期になると、その意味するところは若干変わってくる。ル・カミュ・ド・メジエールやブレは、そこに感覚的な要素を付加するのである。彼らのカラクテ−ル理論は、建築物はその全体、マッスの対比、プロポーションによってひとびとの感情に直接訴えかけることができるとする建築感覚論ともよべるものであった。たとえばル・カミュは『建築精髄---この芸術とわれわれの感覚とのアナロジー Le gènie de l'architecture, ou l'Analogie de cet art avec nos sensations 』(1780)と題された著書の中で、建築を「語るもの」として考察したのは彼がはじめてだとしながら、次のようにいう。

建築のプロポーションをわれわれの感覚・感情のアナロジーとして描いたものは誰ひとりとしていない。・・・これは取りあげるべき新しい課題なのだ。★10
幻影の汲み尽くされえない基礎となるのは、フォルム、カラクテール、アンサンブルの布置 disposition にほかならない。このことは、建築によって感情を生み出そうとするとき、精神に語りかけ魂を揺さぶろうと欲するとき、そこからつねにはじめなければならない原理なのだ。★11

ここにおいて、カラクテールという語が指し示すものは、建築の社会性(建築物の社会における用途、建築主の社会的地位)から、その外観の特徴やそれがひとびとに与える感覚的な効果へと移行を見せはじめている。とはいえ、ル・カミュにあっては依然としてシニフィエとしての社会性は保持されたままであり、その移行が深められるのはブレを待たなければならない。

ある対象に眼差しを向けてみよう! そのとき、われわれに起こる最初の感情は明らかにその対象がわれわれを揺り動かすその仕方から湧き起こるのだ。そう、私は、対象から生まれわれわれに何らかの印象を引き起こすこの効果のことをカラクテールとよぶ。作品にカラクテールを付与すること、それはわれわれに主題から生じるはずの感情以外の何ものをも感じさせぬことに適合した手段をすべて正しく用いることである。★12

ブレのカラクテール論は、ル・カミュ以上に建築物がわれわれの感覚に与える効果に力点が置かれ、上のようにそれは明確に定義されている。類型学的・分類学的な意味を持つものから、感覚的・感性的な効果を中心とするいわば情念論的なものとしてカラクテールは捉え直されているのである。だが、ブレにあっても、社会序列はもはや述べられることがないとはいえ、その「主題」を建築物の用途に求めたことにかわりはなかった。

建築物がわれわれの感官に与える様々なイメージは、これらの建築物が使われる用途に類似した感情をわれわれの中に喚び起こさなければならない。★13

このように元来、建築物の社会序列と用途に基礎を置いていたカラクテ−ル論は、18世紀も末になると、建築物の用途とそれがひとびとに与える感情的効果を統御するものへと、その意味するところが変わっていったのである。★14

 この後者のカラクテールを表象のレトリックとして---またしても---極端に押し進めたものがルドゥーの「語る建築」である。彼はこのふたつ(建築物が持つ社会的機能の表象と感情)が一体となることによってひとびとを導いていくことができるという確信、すなわち感情・感覚をとおして経験される建築物の道徳的・教訓的力に対する確信を強固なまでに有していたのだが、なぜそれが可能なのかはどこにおいても考察されていない。ただ、そのような確信に基づいた言葉とドローイングが残されているだけである。ここでは、それを追っていくだけに留めておこう。

「語る」ためには、言語がなければならない。

言葉を綴る前に文字 lettres を知る必要がある。(L.96)

ルドゥーはそれを幾何学的形態として選んだ。

円と正方形、これこそは作者が最良の作品のテクスチュアにおいて使用するアルファベット文字である。これによって、叙事詩や悲歌をつくり、神々を歌い、牧人たちを讃え、《価値》、《力》、《悦楽》に捧げられた神殿を築くのだ。(L.135)

なぜ幾何学なのか。それは次の言葉が明らかにしてくれるだろう。

人は目によって、美徳や悪徳、快や不快の印象を・・・汲み取るのだ。熟慮によって感情を抑制するものは、あらゆるジャンルで得もいわれぬ心の高揚を準備する。たとえば、この建物(pl.24)は何も見えないひとびとにとってさえ(そしてそれは大多数なのだが)壮麗である。その全体の美には何もつけ加えることができない。・・・これはひとつの熱狂であり緩慢な血流を加速する高揚なのだ。これこそ最も活き活きとした感情の動きを跡に印すひとつの神である。(L.91)

ここで話題とされているのは理想都市ショーのための田園住宅であるが、そこではカウフマンがいうところの「革命様式」が遺憾なく展開されている。まったく滑らかな壁面、まぐささえ省略され単に壁が切り取られただけの開口部、正方形によって構成された平面と断面、屋階に突如として挿入されたシリンダーなど、この住宅はルドゥー晩年の手法を余すところなく伝えており、装飾は一切排除されている。なぜなら装飾は「表現的な性格(L.12)」をしており★15多くを語りはするが、ともすれば単なる饒舌に堕すだけだから。

細部の装飾は、習俗 mœurs に役立つことなく徒に目を疲れさせるだけである。(L.89)

またそれは、「何も見えないひとびと」、すなわち教養のない労働者たちには---彼らこそが誰よりも啓蒙されるべきなのに---ひとことも語りかけることがないからである。

 ルドゥーにとって、芸術は万人の間に差別なく等しくあるべきものだった。したがって、見る者を選ぶ《装飾》は当然廃棄されなければならない。そして、それに代わるもの、すべてのひとびとに遍く読解可能であり読みやすい言語とは、最も簡素なそれ、すなわち幾何学的形態だったのだ。

 だが、そうして選ばれた幾何学的形態も単に恣意的に組み合わせただけでは「語る」ことはできない。語が意味をなす文となるには統辞法となる体系が必要である。

もし建築家があるゆる作品を性格付ける象徴体系 système symbolique を追求しようと望むならば、彼は詩人に匹敵する栄光を手に入れることだろう。・・・彼の作品には、前を行き交うひとびとの目に語りかけないような石はひとつたりともない。ボワローが詩について述べたことは建築についてもいいうるのだ。あらゆる建築が、肉体を、魂を、精神を、顔を獲得するにいたるのである。(L.115)

ルドゥーは、この体系の主題を同時代の他の建築家たちと同様、建築物の用途に求めた(社会序列は問題とはならない。ルドゥー的世界においては基本的に万人は平等であるのだから)。すなわち、幾何学的形態は、建築物の機能を表象するべく組み合わせなければならないのだ。たとえば、オイケマ Oikema ★16と名付けられた閨房の平面図は男性器を露骨に表し、樽の箍 Cercles 職人の工房は円形 cercles そのもののファサードを持つ(また、この工房はショーの外れの四ツ辻に位置し、都市に出入りする者を監視する機能も合わせ持つ。つまり、円形のファサードは同時に目の表象でもある)。それらの表現は実に直截的で曖昧なところが一切ない。なぜなら、それこそが建築のカラクテールであり、あるゆるひとびとに容易に読み取られるものでなければならないからだ。

 こうしてルドゥーは、建築の表象の根拠を幾何学と機能に置くにいたった。教会や宮廷だけではなく、一般市民の住宅や工場さらには閨房までもが、ルドゥーにとっては《高貴なる建築 high architecture》でなければならなかったわけだが、そのとき、建築を支えるものは当然ながらもはや《神》や《王》の言葉ではありえない。それは、《社会》の言葉に取ってかわられる必要があったのだ。

 ローマ期以降、建築は神の威光や王の権威を表象することをその使命としていた---逆にいえば、それらは自明のものとして意識することなく建築の根拠を背後から支えてくれる頼もしい存在でもあった---のだが、18世紀になると神や王が否定されることにより、建築の表象システムは根拠を失い激しく揺らぎはじめるようになる。その根拠をそれらとは別のところに求めた結果、あるものはそれをローマやギリシヤを超えた(架空の)始源に見い出し、またあるものは建築が持つ社会性のうちに据えようとした。そうして得られたものが幾何学的形態でありカラクテールという表象理論でありあるいはプロト機能主義とよばれる素朴な計画論だったのだが、いずれにせよこれらの試みは建築の《外部》にではなく、その《本性 nature》に建築の根拠を見い出そうとするものであったといえるだろう。だが、ルドゥーは、それにとどまらず、建築の根拠を世界それ自体の根拠である《自然 nature》のうちに求めたのだった。したがって、彼の建築がそれらの試みをすべて呑み込み、よりラディカルに押し進めたものであったとしても何ら不思議ではない。18世紀に「建築=自然」と唱えた時点で、そのような在り方/行き方は運命づけれらていたともいえるだろう。そしてなにより、そのような過剰さこそが《自然としての建築》に相応しいといえはしないだろうか。

notes / figures

★9
建築が「語る」というのは、建物がその外観---たとえばマッスの対比やプロポーションの変化などによって人々の精神や感覚に直截的に訴えかける作用をいう。そのことを「語る」と表現したのは、おそらくニコラ・ル・カミュ・ド・メジエールが最初であろうが、カウフマンによればそのような建築の効果を考察したのはブロンデルにまで遡る。「ルネサンスの建築家たちが人体の寸法を測定しそれを建築に応用しようとしていたのに対し---この試みの最後の例がブロンデルの一側面でもあるのだが---いまや[そのブロンデルをはじめとする]建築家たちは建物に人間の性格・特徴を付与しようとする。《語る建築》の時代がはじまったのだ。そしてそれは建築のかたちの徹底的な改革にはじまり、浅薄な象徴主義に終わる。」 Emil Kaufmann "Three Revolutionary Architecture, Boullée,Ledoux and Lequeu." pp.440-441
なお、ここでいわれている「改革」を実現したものがブレとルドゥーであり、「浅薄な象徴主義」とはルクーの「饒舌な建築」を念頭に置いてのものだろう。「饒舌な建築」とは、スタロバンスキーが《語る建築》を捩ってルクーの諸作品に与えた呼称である。「そこでは、弁舌は独断的で、かつ空想的となる。象徴は強められて寓意となり、表象的な図像が思いがけない生き方をはじめ、詩的で、しばしば錯乱した、ごちゃまぜの世界を作り出す。幾何学は、今一度、気違いじみた繁茂に被われ、失われる。」ジャン・スタロバンスキー『フランス革命と芸術』井上尭裕訳(法政大学出版局、1989年)64頁
ルクーによる「占い術の寺院」。モクモクと湧いているのは神の啓示か。
★10
Nicolas Le Camus de Mézières, "Le Génie de l'architecture." paris,1780,p.1 ; cit.in "Architecture in the Age of Reason." p.150
★11
Le Camus, op.cit., p.7
★12
Étiennne-Louis Boullée "Archicture. Essai sur L'art." Herman,Paris,1968, pp.73-74(f84)
★13
Boullée, op.cit., pp.47-48(f70)
★14
詳しくは、白井秀和「フランス啓蒙主義建築における《性格》について」(日本建築学会論文報告集、第330号、昭和58年8月)参照。本稿でのカラクテールに関する記述は、この論文に多くを負っている。
★15
ルドゥーは装飾について次のように述べている。「装飾によって、一時の権力に支えられた儚気な宮殿から至高存在と永遠性を競い合う祭壇を区別することができる。装飾によって、表面には不死の命が与えられ、あらゆる感覚、あらゆる情念が刻印される。装飾によって、運命の不規則が正され、驕慢な奢侈が滅ぼされ、そして内気な薄幸が引き立てられる。装飾は、無知をなくし知識を強大にするとともに、それを適正に配分することによって国家に輝きを与える一方、その恩を無視する不実で思いやりのない徒輩を野蛮の中におとしめる。文明という優しき芸術に支えらえたこの巧みなものは、いかなる役割も果たすのだ。厳めしくもなれば軽やかにもなり、悲し気にもなれば快活にもなり、穏やかにもなれば激昂したりもする。その容貌は、畏敬の念を呼び起こすかと思えば、誘惑の声を投げかける。(L.12)」
ここでは装飾は極めて肯定的なもの、〈語る建築〉の根幹をなすものとして扱われている。だが、ルドゥーがそのようにいう装飾とは、通常の意味でのそれではないということに注意しなければならない。「私は、装飾を対比のうちにあらわれでるものとして区別している。芸術が触れると、一片の石にも新たな感情が呼び起こされ、その独自の能力を発揮するに至る。しばしば、実にしばしば、私は自由で、そして足枷が取り払われた秩序感を見せることになろう。・・・[そのためには、装飾の]あの脆い用法、暴風雨が砕いてしまうあれらの突き出た装飾物は削り取ることにしよう。(L.14)」
すなわち、ルドゥーにとって装飾とは、建物全体の構成から生み出される効果/現象をいうのであり、ゴシックに顕著な建物の表面に付加される装飾物とははっきりと区別されているのである。そのような通常の意味での装飾は「美しいマッスを堪能させ」るのに邪魔になるばかりか耐久性・経済性等の観点からも彼にとっては斥けられるべきものであった。
ルドゥーの田園住宅
ルドゥーの田園住宅。執拗に用いられる正方形
オイケマの平面図。何の形か問うまでもない。
オイケマのパース。平面図からは想像もつかない古典的清潔さ。
樽の箍職人の工房。樽かつ目玉。
★16
オイケマ Oikema とは単なる閨房ではない。理想都市ショーにおいては共同体を維持する《装置》として、より積極的な意義を与えられている。ここで性的な衝動を浄化された若者は道徳心を取り戻し、労働に迷いなく勤しむことのできる共同体の真の成員になるとルドゥーはいうのだ。現代からすれば、このように性的なことを建築のテーマに掲げるのは奇異に映るかもしれない。しかし、18世紀という時代にあっては、性への言及はむしろ肯定的な意味を持っていた。キリスト教の失墜に伴い、それは情念の優位として広く語られたのである。たとえば、フィロゾフたちは「性の潔白を擁護し、性が人間の本性にとって不可欠の立派な一部分であること」を公言してはばからなかった(ゲイ『自由の科学 I』163頁)。また、建築においては、《語る建築》の提唱者であるル・カミュがその著書『建築の精髄』で閨房の理想型を詳細にわたって考察している。ただ、ル・カミュの場合、閨房は依然として「官能のすみか」、「官能が計略を練ったり、勢いに身を任せたりする」場所であり、ルドゥーのように、それを共同体の《装置》とする発想は当時としてもやはり特異といわざるをえないものであったろう。この点において、ルドゥーは、同時代に生きた性の異端思想家であるマルキ・ド・サドに接近している。「われわれは現在、かつてわれわれをとらえていた宗教的誤謬の数々から解放され、おびただしい偏見をたたきつぶすことによって、一層自然に近しい存在となったのであるから、自然の声にしか耳を傾けないとしても当然である。世に罪なるものがあるとしたら、それは自然がわれわれ人類に賦与した傾向と戦うということよりも、むしろその傾向に抵抗することというべきであるということを、われわれは先刻確認している。また淫蕩というのはこれらの傾向から生まれた一つの結果であって、大事なことはわれわれの裡なるそうした情熱を消し去ることではなく、むしろ穏やかにこれを満足させる手段を決定することであることも、われわれはたしかに承知している。したがってわれわれの義務は、この快楽に秩序を与え、自然の要求から淫蕩的な対象物に近づいていく市民たちをして、何物によっても束縛を受けることなく、情欲の命ずるがままに心ゆくばかり、この対象と楽しみを分かち合うことができるようにしてやることでなければならない。けだしこうした情熱ほど、人間のうちに全幅の自由を要求する情熱は決してないのである。そこで、綺麗な家具付きの、どこからみても安全な、広くて衛生的な建物が、方々の町に建てられる必要がある。」(マルキ・ド・サド『閨房哲学』澁澤龍彦訳、角川文庫、1975年、195-196頁) なお、サドはパリに閨房を計画しそのスケッチを遺しているが、ルドゥーもパリのモンマルトルに丘全体を覆うほどの巨大な規模を持った「快楽の館」を計画している。
オイケマの発展形。何の形かは問うまでもない。